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身体表現性障害にさようなら

私の身体表現性障害・心因性疼痛が消えていく経過を書き留めていきます。

認知の歪み

治ろうと努力すると具合が悪くなるのは治ると不都合があるからです。

そもそもの病気になった発端は会社でポジションが上になっていくに連れて自分の能力とのギャップが広がった事でした。自分の中で「このポジションであればこのくらいの仕事が出来なければならない」という基準があって、ポジションが下のうちはその自分の基準を満たせていたのがポジションが上がるに連れて満せなくなってきたのが病気になった原因です。自分が下のポジションの時はその当時の上の人を見て「あの人は(私が決めた)ポジションの基準に見合った仕事をしていない」と否定して軽蔑していたのに、自分が上のポジションになると自分がその軽蔑していた人になってしまう事を自分の中で受け入れられませんでした。そこで自分が決めた基準と自分の能力の現実のギャップを解消出来ない私のココロはカラダを動けないようにして働けないようにする事で正当にその現実から逃避する事を選びました。それが今の状態のメカニズムです。

そして今はあらゆるポジションについて自分が決める基準を自分が満せないと思うようになってしまいました。50を過ぎた障害者に仕事があるのかそもそもわかりませんが、あったとしても、(自分が決める)そのポジションに見合ったレベルの働きを今の自分が出来る自信が全くありません。もとの職種で働くにしても、より現場に近いポジションで後進の若い人に混ざって同じレベルで仕事をする自信がありません。清掃やレジ打ちの仕事はカラダの悪い私には出来ません。一般事務も事務を長くやっている方々と同じレベルで仕事する自信がありません。働くのを諦めて何かボランティアなどに取り組むにしても(自分が決める)その役割に見合った働きが出来るのかわかりません。全てを諦めて何もしないでプラプラ生きていけばギャップに向き合うことは避けられるかもしれませんが、自分は変わっていないのでちょっとした事でまたギャップを生み出してしまうでしょう。

ここまで考えてきて自分の中に認知の歪みがある事に気付きます。自分が逃避しているギャップは全て自分が勝手に決めた基準と現実の自分との間のギャップです。このポジションであればこのくらいの働きが "出来なければならない" と自分が勝手に決めた基準とのギャップなのです。実際は周りはそこまで求めていないかもしれないし、そこまでやらなくていいんじゃないという人もいるだろうし、ただ自分の出来ることをやればいいだけかもしれません。しかし自分の中でこのレベルまで出来なくてはならないという歪んだ認知が強烈に固まっていて、それが歪んでいると頭では理解してもココロのレベルで歪みを正す事が出来ません。それはこれまでの生い立ちとか自分の中のポリシーとかプライドとかそういうもので固まっているのかもしれませんが、それらを崩していく事が頭でわかっているだけでは出来ません。

ここまで書いてきた事は昨日今日に新たに発見した事では無くて過去のカウンセリングの中で整理してきた事です。しかし過去のカウンセリングでは整理まではしたけどそれを紐解いて解決するところまで辿り着かなかったので、これまで認知の歪みに向き合わずそれを避けて過ごしてきました。そのため認知の歪みをここまでずっと放置してきてしまいました。

カラダの症状を取って普通の社会生活がおくれるようになるためには、これからは認知の歪みを正していかなければなりません。認知の歪みがココロのレベルで正常化された時にきっとカラダの症状は無くなると思います。認知の歪みは具体的には認知行動療法の治療を受けて正していく事になりますので認知行動療法の出来る心理療法士さんに手助けしてもらう事になります。経験豊富でスキルの高い心理療法士さんの治療を受けたいですが外出出来ないために電話か訪問で来てもらえる人に限られてしまうので良い人を見つけるのが難しいのですが何とか良い人に出会いたいと思います。