身体表現性障害にさようなら

私の身体表現性障害が消えていく経過を書き留めていきます。

【10/21 日記】非効率

この間から浄水器の蛇口からポタポタと水漏れしていたので、ずっと直そう直そうと思って、なかなか直せていなかったのを昨日やっと直しました。

 

メイスイの浄水器ですが、最初は型番すら分からず、修理屋さんを呼ぼうかと一瞬思いましたが、おなじ浄水器の水漏れを直した方のブログ記事をいくつか見つけて、それのおかげて1000円で簡単に修理完了しました。ネットの時代はありがたいです。


昨日の夜はボランティアでした。

 

昨日の生徒さんは勉強の出来る子で数学をやりました。習った解き方よりも、自分で考えたオリジナルの解き方で解くのが好きな子で、それで正解を導き出せることもあって、自分独自の考え方で解こうとする姿勢は素晴らしい、と伝えました。一方で、テストで良い点を取るには、決められた解き方を覚えて解くほうが早いので、自分独自の解き方を考えるのは続けて、それと並行して習った解き方も覚えよう、と言う話もしました。

 

勉強の出来る子がオリジナルの解き方をして、それで解けると「すごい」になりますが、勉強の出来ない子がオリジナルの解き方をしようとすると「習ったやり方でなぜやらないの?」と普通は言われてしまいます。私も言ってしまいます。

 

だけど、自分のオリジナルの解き方でやりたい、という姿勢は悪いわけではなくて、どちらかと言うと良いことなので、ホントは「オリジナルの考え方でより良く解けるようになるために、習った解き方も覚えたほうがいいよ」と言うべきなような気がしてきました。

 

今日読んだ養老孟司先生のインタビューで、

 

学校では教えない、生きるうえで大切なことがある」。学校や社会は、毎日学校に通い、効率よく勉強をしていい点数をとり、進学校に進むことをよしとしています。でも、人間の生き方というのは決してそれだけではない。

 

とお話しされていて、まったくおっしゃる通りだと思うのですが、一方で効率よくやっていい点を取れないと、一部の特別な才能のある人をのぞく普通の人は評価されないという今の社会の現実もあって、子どもに効率よりも大事なことがある、と言うだけでは言いっ放しになってしまうなーと思ってしまいます。

 

今の学校の試験は、いかに効率良く問題を解けるか、いかに効率よく暗記できるか、で優劣が決まるようなものなので、子どもの自由な発想で時間をかけて、とかやっていては全然いい点は取れなくて、塾に通って効率のよい試験テクニックを身に着けた子どものほうが、賢いけど塾に通えなくて試験テクニックを知らない子どもよりもいい点を取るのが現実なので、学校の試験の評価尺度から変えないとどうにもならない世の中になってしまっていて、どうしてこうなっちゃったかなー、21世紀になっても幸せな社会はこないなー、などと思ってしまいます。

 

自分のやりたいことがハッキリしている子どもは、それに向かってやるべきことを絞っていけばよいし、やりたいことだから自主的にどんどん頑張れて、そのための大変なことは本人にとっては全然大変じゃなくて、非常に好ましい状態ですが、

 

大半の子どもは(大人も?)自分が何をやりたいのかわからず悶々としているわけで、だから自分がホントにやりたいことが見つかったときに、それにすんなり入っていけるように、やりたいことのない間に着々と勉強しておくべきだよ、ということだと思うのですが、これを話したからと言って子どもが勉強してくれるということもなくて、、、

 

結局、自分がホントにやりたいことを早く見つけて、それに没頭できる状態になってもらう以外に幸せはこないような気がしますが、見つかるまでの間は四の五の言わずに目の前の勉強をしてほしいものです。。。

 

そんなことを思います。